鉄道とクレジットカードのある風景

タイトルとは裏腹に基本雑記ブログです。

寝台特急北斗星に乗車して。寝台特急北斗星とは

寝台特急北斗星はそれまでの日本国有鉄道がJR各社に民営分割化された1987年から約1年後の1988年3月13日に誕生しました。

誕生の経緯

北斗星は上野駅から札幌まで約1200キロを結ぶ列車です。それまで、列車が本州から北海道までを渡る事はありませんでした(厳密にいえば青函連絡船に一部の車両を格納して北海道まで運んでいたことはありましたが)が、青函トンネルを含む中小国信号場から木古内間の海峡線が開通したことにより、本州と北海道を結ぶ直通列車が実現しました。

走るホテル

北斗星は最後のブルートレインと言われました。青い車両で疾走する列車は本当に格好が良く(個人主観です!)、寝台のバリエーションが豊富でデビューから直ぐに人気列車の仲間入りを果たしました。一人用A寝台個室「ロイヤル」、一人用B寝台個室「ソロ」、二人用A寝台個室「ツインデラックス」、二人用B寝台個室「デュエット」といった各個室からスタンダードな一人用B寝台開放型二段式までA寝台・B寝台とそれぞれグレードが有り、食堂車「グランシャリオ」、フリースペースの「ロビーカー」も連結した走るホテルとまで言われていました。

誕生当時

誕生当時はJR北海道編成とJR東日本編成の列車で1日2往復(定期運行)+1往復(臨時運行・個室設定無しのオール開放B寝台)で運行を開始しました。走行距離は約1200キロ、時間にして約16時間の壮大なドラマ(旅行)の幕開けです。途中、青函トンネル通過に合わせて2回の機関車交換というビッグイベントもあり、乗車しても楽しめ、イベントを見ても楽しめる列車として、乗客の夢を乗せ走り始めました。

廃止理由

ところでなぜ、北斗星が廃止されたの?という疑問があると思います。大きな理由は、青函トンネル内の電圧が新幹線規格により従来の2万ボルトから2万5千ボルトに昇圧され、北斗星を率いていた機関車が対応できなくなったからです。また、客車(24系25型)も車両老朽化により、これ以上の走行は無理と判断されたようです。現実にJR北海道所属の客車はすでに解体作業が始まっています。

まとめ

出会いがあれば別れもある。海峡線が開通したことにより、青函連絡船がその歴史に幕を閉じ、そして、北海道新幹線開業に伴い北斗星もまた歴史に幕を閉じました。大好きだった北斗星。乗車記にて、思い出をご紹介していきたいと思います。

始発を前に尾久車両センターで一休みする北斗星

※記事作成上、画像は乗車日以外のものを使用しています。